父の家計簿〜りっぱな父親を目指すブログ〜

立派な父を目指して精進する30過ぎの器用貧乏なサラリーマンのブログです。節約・貯金・投資・子育て・家事の話盛々

#先生死ぬかも、への共感と虚無感

どうもこんにちは、りっぱぱです!!

世間様よりも少し長めに連休をエンジョイさせていただいています!感謝でございます。

 

数日前、Twitter上で、#先生死ぬかも というハッシュタグがトレンド入りしました。

概ねこのタグで言いたいことには共感しているのですが、これじゃ多分何も変わらんやろうなという虚無感も同時に持っているので、その辺りの理由とかつらつらと書いていきます。

教員の方からすると不快なことも書いているかもしれませんが、民間で教育業に携わり学校を見ている1個人の意見としておおらかに読んでもらえると嬉しいです。

 

<公教育への課題意識>

まず前提として、僕が感じている学校教育、公教育に対する課題意識を挙げておくと、大きく3つあって・・・

1:社会の変化に対する学校の変化の遅さ

2:学びの個別最適化

3:教員の労働環境

になります。この3つはそれぞれが関わりあっている部分も多く、かつ一つ一つ読み解くとかなり複雑です。

今回の#先生死ぬかも、は3の教員の労働環境問題をモロに提起したものになります。

この教員の労働環境、より端的にいえば、労働時間の長さ(と生産性の低さ)は、僕の感じている、学校が変化しないことや学びの個別最適化が進まないことにも多いに影響しています。。

ただ、今回はあくまでも労働環境に絞って意見を書いてみます。

 

<先生死ぬかも に共感する理由>

虚無感を感じていると書きましたが、大前提としてこのタグでかかれている問題意識には多いに共感しています。

いろいろ理由はありますが、第一に教員(得に小中学校)の長時間労働は実態として常軌を逸していることです。

文部科学省の発表によると「小学校教員の約3割、中学校教員の6割が、月に80時間以上の時間外労働をしている」というデータが出ています。

https://news.yahoo.co.jp/byline/hiraiwakuniyasu/20190418-00122723/

月に80時間というのはご存知の通り「過労死ライン」と呼ばれるものです。

僕の会社ではこれを1月でも超えると一発で産業医にと面談になります。

でも、世の中には「好きな仕事しているんだから」とか「80時間ぐらい俺もよく超える」とか

わけわかめな理由で教員の労働時間を正当化する輩がいます。

教員の労働時間の問題は単月で80時間を超えることだけでなく、

それが状態化して毎月80時間を超えること、

持ち帰りの仕事も含めると80時間どころか150時間、200時間残業という教員もいるうこと

「この仕事いるの?」「これ子どものための仕事じゃないよね?」という業務が多く、やりがいを感じない業務に忙殺されていること

などがあるので、わけわかめな批判をして来る外部の輩は基本無視で良いと思っています。

このあたりの問題は#先生死ぬかも を追いかけもらえれば実際の先生方が写真なんかも載せながら実体験を訴えておられます。

 

<#先生死ぬかも に虚無感を感じる理由>

待遇(収入)がどうこうとか、公務員だから同行ではなく、余裕で過労死ライン超える教員が現実的にいる以上、単純に労働時間だけみても早期に改善すべき課題であることがわかります。

でも今回の#先生死ぬかも 運動では何も変わらないなとも正直感じております。

なぜそう思うか、結論から言うと先生の労働環境を変えられるのは、現場の先生と現場のマネジメント層(わかりやすいとこは校長先生)だけだからです。

得に校長のリーダーシップは非常に重要な要素で、どれだけ校長がこの問題を解決するために主体的にコミットするかによって、一つ一つの学校、一人ひとりの教員を変えていけるが大きく違います。

その点、今回の#先生死ぬかも 運動はマネジメント層を動かす効果はないのではと思っています。

 

<着地点がない運動>

そもそも#先生死ぬかも の出口戦略が全くわからないです。

Twitterでトレンド入りするくらいなので、ある程度この問題の認知度を高める効果はあったと思います。

それに数名の有識者がツイートしているように、ただの文科省批判になっていない点は今までより前進したと感じています。

ただし、基本的にこのタグをつけてつぶやかれていることは、現場の先生達の悲痛な叫びであり、SOSです。

つまり、「こうやって解決したい」という提案はあまりありませんし、もちろん、現場からのコンセンサスのあるアイディアもありません。

「大変だ」「過労死している人もいる」「人が足りない」という声だけでは、もともと感心がある人(親族・友人が教員、教育系の大学・学部出身、教育業に従事など)以外はあまり動かされないです。

 

<一般層が動かされない理由>

「過労死」はここ数年大きな社会課題として捉えられて、多くの企業で働き方改革がうたわれています。

口だけの企業もまだまだありますが、僕の会社なんかも各種対策、改善を打っており、僕自身は数年前よりも労働時間が減りかつ生産性は高まったと感じています。

この世の中の過労死、長時間労働問題に火を付け、国や企業を動かしたのは、ワタミ電通の社員が自殺に追い込まれてしまった問題が多いに影響しています。

では、なぜ教員の長時間労働や過労死が社会課題として広がらないのか。

理由はいくつかあると思うのですが、どの理由の背景にも

「教師」という仕事に対する幻想(偏見とは少し違う)

があると思います。

 

例えば、「教師の収入は高い」「税金で仕事していて安定している」「自分の好きな仕事をしている」のだから、「多少長時間労働しても当たり前でしょ?」的な考えです。

実態としては、新任の教師の所得は一般企業並ですし、「好きな仕事」といってもやってることは意義・目的のわからないぺーパーワークや無駄な会議だったりします。

海外に比べて日本の教員は高所得というのはデータ上間違いないかもしれないですが、海外の教員と日本の教員は求められる責任範囲が違いすぎて単純比較するのは気の毒な気がしています。

とはいえ、世の中的には、教師=夢を叶えたという見方をする人が多く、一般企業での勤務とは一線をかくすと考えるのではないでしょうか。

そういう意味で、電通ワタミで過労死や自死があると自分事化して世論形成をする一般層も、教師の労働環境問題はなかなか自分事化できないのだと思います。

フリーランスや起業家、自営業(スポーツ選手なんかも含む)が長時間労働(努力)するのは当たり前と考える発送に近いと思います。

 

<教員を増やすことは現実的でない>

#先生死ぬかも のタグで教員の人手不足も訴えられており、教員の増加、少人数学級実現することでこの問題を解決してほしいという意見もありました。

日本の初等教育中等教育への投資の少なさ(というか教育へ投資が少ない)を考えると至極まっとうな意見かとも思いますが、現実的な解ではないのは明らかです。

財務省が教員の人数を減らそう、文科省の予算を削減しようとする動きがありますが、そうでなくとも少子化かつ財政状況が厳しい中で、教員だけ人数を増やすというのはなかなか世論のコンセンサスを得るのは難しいと思われます。

 

<結局できるのは現場が変わること>

世論も動かせない、教員も増えない、文科省はまがいなりにも教員の働き方改革の必要性はすでに言っている、ということを考えると、短期的かつ現実的な解決策は、現場の教員そして校長がこの問題を解決するために変化を起こすしかないと思います。

教員の業務で「子供のため」「今までやっていたから」と効果検証もされず無目的にされている業務は現実的に多いです。

よく言われる通知表へのコメントや運動会の準備など、別に法律的にしなければならないものではないにも関わらず、変化を嫌う風潮から削減できずにいます。

また、ただの共有だけのための会議・朝礼もictを活用するだけで一気にスリム化できます。

このあたりは文科省がどうこうではなく、校長のリーダーシップで改善できるものです。

それをやろうともせず、大変だーとだけ訴えても何も変わらないと思います。

 

この運動が近いうちに「共有アプリ提案したら問答無用で蹴られた」「この業務の削減を訴えたら、今までやってきたからダメとか言われた」みたいに、校長の無能感を訴えるものになればいいなーと少し思っていますし、

何より現場の教員が「校長って実は権限持ってるから、突き動かしたろ」ぐらいに思ってくれると嬉しいです。

教員が「校長は所詮中間管理職・・・」とか思っているようでは、なかなか何も変わらないでしょうね。