アンドロイドによろしく
どうも!こんにちは、りっぱぱです。
今日は簡単なレビューブログ。先程アマゾンプライムで「イヴの時間」という映画を見ました。
これずっと見たかったのですが、なぜか後回しにしていたのですが、もっと早くみればよかった。。。
2010年公開で、もう10年以上前の映画なんですが10年前に考えられたとは思えないぐらいリアルですね。
もちろん映画に出てくるのがガラケーだったりはするんですが、AIがどんどん発達してきた今だからこそ響くような描写も多いです。
人間とアンドロイドが喫茶店でお互いが人間なのかアンドロイドなのかわからないまま交流を深めて行くこと、両者に違いはあるのか、アンドロイドに心はあるのかを描いてきます。
最後の方では年甲斐もなく号泣してしまいました。
AIやアンドロイドに興味のある方は古い映画だと思わずに是非見てほしいです!
自分の子どもが大人になる頃にはAIはもっと発達していて、もっともっと今以上に日常に欠かせない存在になっているんだろうなと思います。
個人的にはそれはすごく楽しみな社会です。人間とAIが共生するのか、人間がAIを支配するのか、AIが人間を支配するのか、それも含めて楽しみです。
チャップリンが皮肉と危機感を込めて、モダンタイムズで機械に使われる人間の姿を描きました。あれを描いた当時は間違いなく、社会が機械に対して危機感を持っていたと思うんです。それにチャップリンが思い描いたような、機械に使われる人間がいるのも現代では事実だと思います。
でも、だからといってそれで不幸になった人が多いかと言うとそうではない。
社会は間違いなくいい方向に進んでいる、というのが僕の持論です。機械に使われているかもしれませんけど、それで給料をもらって、なかには人とコミュニケーションを取らないことに安心感を持っている人もいますし。
今後機械社会に必要不可欠になりロボットまで出てきた社会で、さらにAIが発達して、アンドロイドまで出てきたらどうするんだろうというワクワク感があります。
ところで、ロボットとアンドロイドの違いってなんなんでしょうね。
イブの時間の中にも旧式のいかにもロボットという形のアンドロイドが出てきますし、映画内でもそれは「ロボット」と呼ばれたりもしています。同じく旧式のアンドロイドもクライマックス付近で出てきます。
これらは見た目は人間ではない。でも、人工知能があって自立して考え、人間の心も持っているように描写される。もしかしたらアンドロイドの要件は、人間のような姿形ではなく、人間のように自立して物事を考え、心を持つことなのかもしれないですね。
もしそうだとしたら、家の子どもが大人になっても、アンドロイドは登場しないかもしれないです。シンギュラリティとか言われますけど、自律的に演繹と帰納ができることと、自立的に物事を考え思考することは全く違いますからね。
インプットされる情報に思考が左右されるのは人間も同じですが、AIはそれ以上にインプットされる情報と処理方針でまだ縛られてますからねー。
でも、それでも僕はアンドロイドが身近にいる社会が来てほしいと思います。
もちろんターミネーターのシュワちゃんみたいなアンドロイドじゃなくて、みんな大好きドラえもんがいる社会ですね。
ドラえもんは猫型ロボットではなく、ネコ型アンドロイドということにしてください。
ちなみに僕、小さいときに友達と「ドラえもんの道具で何が一番欲しいか」という話題で、道具を言わずに一貫して「道具はいらんからドラえもんがほしい。4次元ポケットもいらん!」と言い続けてなぜか喧嘩担った覚えがあります。
朝起きて押し入れにドラえもんがいないか本気で期待していた時期ありましたからね。
その時からすでにアンドロイドのいる社会に憧れていたのかもしれません。
AIとか興味がある人は、すでに読んでいるかもしれないですけど、この本もおすすめです。
すごくわかりやすくAIや今のAIの進化のすごいところと限界が書かれています。
帯がイヴの時間なのもすごくいい!
あとこの、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」も超おすすめです。映画の「ブレードランナー」の原作ですね。
イヴの時間の中でも「私になにか?ブレードランナー。」とオマージュされています。
一度言ってみたいですね、喫茶店で「私になにか?ブレードランナー。」
あれ?そうでもないですか?CV北大路欣也ぐらいの感じで言ってみたいですけど。。。
まあいいや、とにかく今日は「イブの時間」を見て感じたとりとめもないことをつらつらと書いてみました。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!